時事中年

〜デイリー・ジャポン〜

「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」を読んで・・・第三章、第四章編

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 「アナウンサーという仕事は基本的に個人プレーだと僕は思っている。チームワークが利くような仕事ではない」

 
 久米さんはこう書きます。落合博満・前中日ドラゴンズゼネラルマネジャーが、現役時代「野球は個人プレー。自分の持ち場を守っていればいい」と言っていたのと似ています。 
 
 「視聴率100%男」は萩本欽一さんのことですが、それよりも前に久米さんは「視聴率100%アナ」と呼ばれていたそうです。そんな超多忙な中で「フリーになる」という気持ちが、頭をもたげてきました。 
 
 そんな中、久米さんは現在も籍を置く制作会社「オフィス・トゥー・ワン」の社長と出会います。その社長に「自分の言葉で語る番組を作ってみませんか」と説得されます。 
 
 自分の言葉で語る。 

 

 
 「ニュースステーション」の人気がじわじわ出てきたころ、他局のニュース番組の評論家の田原総一朗さんが出演しており、視聴者からの電話の質問を、スタジオとつないで答えるという企画があったことを私は記憶しています。そのうちの一人の視聴者が「キャスターが自分の意見を言うことについて、どう思いますか?」と質問し、間、髪を入れずに田原さんが「久米さんのことですか?」と返していました。 
 
 そのくらい「自分の言葉で語る」のはキャスターとしては珍しかったのです。近年「公正・中立」を是とする国の「圧力」が幅を利かせています。「自分の言葉で語る」のは難しくなってきています。 
 
 「視聴率100%アナ」と呼ばれ、一会社員の域を超え、このままでは立ちいかなくなると感じていた久米さんは1979年6月いっぱいでTBSを退社します。 
 
 その後も久米さんは「生」にこだわります。「おしゃれ」というトーク番組では、それまでの司会者が完全台本だったのを無視し、アドリブでゲストとトークをするというスタイルにし、収録でありながら「いかにも生っぽく」というように番組のカラーを変えました。
 
 その後「久米宏TVスクランブル」(日本テレビ系・この番組は私も大ファンだったので、明日以降、独立して記事を書きます)のヒットを受け、ついに「ニュースステーション」のプロジェクトが進行します。 
 
 「中学生でもわかるニュース」 
 
 これが「ニュースステーション」の根幹にありました。放送当時中学生だった私は、この原則を番組が貫いていたからこそ、見たこともなかった「ニュース」というジャンルのテレビ番組を毎晩見ていたのかもしれません。 
 
 しかし放送開始にあたり、テレビ朝日局内からは、猛烈な反発があったそうです。それは「3つのタブー」を侵していたからでした。

 
 (この項、つづく)